ボールペンの芯とコップの水

勤めている職場に苦手な人がいるのだが、その人からおもむろに「ボールペンの芯が細い。太いのに変えたらどうだ」と指摘をされた。


仕事上でのアドバイスであればまずは聞き入れようと思う。字が汚いので読みにくいなど迷惑をかけているのであれば話は別だが細い太いに至ってはその人の主観であり好みであり、私が受け入れる筋合いはないと思った。ので、その場では はい とも いいえ とも答えず半笑いで場を収めた。


その日頭の中にボールペンの芯を支配されながら過ごすこととなった。
最近では精神の許容をコップと水に例える事があり、その日はコップという許容の中にある水が9割を占められていた。


終業20時。あと数時間で1日が終わる。

コップの中の水をいかに減らせるか と思考を巡らせ、単純に《ファミチキを食べて一時間のウォーキングしてそのあと温泉に入る》という自分が今最も満足できてリーズナブルなストレス発散コースを思案し、それをこなしその日は就寝した。

 

次の日、朝洗濯物を干し終わり一仕事終えた達成感のあと覆い被さるように「ボールペンの芯」が頭の中を過った。
そのあとも、皿を洗いながら「ボールペンの芯」買い物が終わり冷蔵庫に収納をし扉を閉めたら「ボールペンの芯」ポケモンスリープのカビゴンに木の実をあげても「ボールペンの芯」昼御飯を咀嚼しながら「ボールペンの芯」

隙間がどんなに小さかろうがボールペンの芯が思考にねじりこんでくる。

このままではまずいと思い、軽く睡眠をとりリフレッシュを図ろうと横になった。

13時30分にアラームをセットして軽い昼寝。

目が覚めた瞬間、感覚的にやばいと思った。17時を廻っていた。軽い昼寝のつもりがボールペンの芯を忘れたいだけで貴重な休日を無下にしてしまった。

ボールペンの芯に重ねて無駄な昼寝をしたという事実にコップの水が表面張力にまで達した。昨夜コップの中の水を減らしたはずではなかったのか。自分は何をすれば水を溜めずにできたのか。

換気扇に下に立ちタバコの煙を燻らせながら「自分はコップの中の水を減らせず、砂糖やハチミツなど何か味になる物を足しただけなのかも」と気がついた。

実際一晩経って《職場の嫌な人にボールペンの芯の太さにケチつけられた》という他人に語るには丁度いい具合のエンタメになっていた。

必要だったのは物理的ストレス発散ではなく誰かに話を聞いてもらう事だったのかもしれない。

表面張力に達した水は少し口にしたら激甘く感じた。明日誰かにこの水を飲んでもらおう。甘すぎだろwと笑ってもらおう。

そういった水の減らし方も有りではないか。そしてボールペンの芯にケチつけたあいつに払わせる税金とかねえかなとありもしない空想を思考し初ブログに記録を残して休日が終わった。